Everyday Magic-筆に想いを

心に響く言葉や詩歌を、書でつづる

「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」高浜虚子の句より

 

 

穏やかで暖かめのお正月。

 

今日は、一般的な仕事始めということで

 

新年としての日常も戻ってきますね。

 

新年の抱負をあらためてお持ちの方も

 

すでに歩みを進めている方もいらっしゃるでしょう。 

 

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「去年今年貫く棒の如きもの」 高浜虚子(はがき)

 

“去年(こぞ)今年”とは、

新年の季語にもなっていて、

昭和25年の虚子の有名なこの句にあります。

 

ゆく年くる年で、暦では、切り替わるものの

昨日の今日でもあり、時の流れが変わるものでなく、

そこに続いている何かがあるともいえましょう。

 

その何たるかや、あるいは、信念であったり、

句の解釈は、人それぞれでありましょうが、

悠久たる、ダイナミックさをも感じられる気がします。

 

虚子五句集 (下) (岩波文庫)

 

虚子の句については、以前も触れたことがありました。

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

前にも述べたように、

虚子は、俳句のあり方として“客観写生”を提唱しています。

 

句となる感慨はいかほどあってもよいが、

あくまで表現は客観的に平明にといいます。

感懐はどこまでも深く、どこまでも複雑であってよいのだが、それを現す事実はなるべく単純な、平明なものがよい。これが客観描写の極意である。
 主観の匂い、主観の光り、というものはその単純な平明な描写の中から出て来るのである。
 その単純に似たる客観の描写のうちに図らずも作者の深い複雑な主観をとらえ得たときは、読者はそれから深い感銘を得るのである。読者はその単純に似た事実の描写のうちから大きな作者の主観を感得するのである。

 

俳句への道 (岩波文庫)

 

 

心に感動なくて何の詩ぞや。それは言わないでも分っている事である。ただ、作家がその小感動を述べて得々とくとくとしているのを見ると虫唾むしずが走るのである。そればかりでなく、そういう平凡な感情を暴露して述べたところで、何の得る所もない事をその人に教えたいのである。目を天地自然の森羅万象しんらばんしょうに映してその心の沈潜するのを待って、そうしてあるかないかの一点の火がその心の底にともり始めて、その感動がようやく大きくなって来てその森羅万象とけ合って初めて句になるような径路、その径路を選ぶ事が正しい句作の誘導法だと考えるのである。客観写生を説く所以ゆえんの一つ。

 

『俳句への道』からの、引用が続きましたが、

最も短い詩形である俳句ゆえ、

単に感動をぶつけるのではなく、

人知れず、沈思黙考したような末に、

自然に生まれくるような深さがあってこそ

活きてくるのかもしれません。

 

ところで、”虚子”(きょし)というのは、

師の正岡子規によるらしいが

本名の”清”(きよし)に由来するというから

面白いですね。

 

虚子の作品は、今は、青空文庫でもご覧になれます。

また俳句についての著書は、

いわゆる芸術論としても読めて興味深いです。

  

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

    

鳥歌花舞―新春を寿ぐ。そして作者、欧陽脩の「三上」という言葉

 

 

新年おめでとうございます。

 

本年が、皆さまにとっても幸多き一年でありますように。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

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「鳥歌花舞」  (はがき)

 

鳥歌い、花が舞う。

 

出典は、

 

欧陽脩もしくは、鷗陽修(北宋)の七言絶句

       

『豊楽亭游春』より

 

緑樹交加山鳥

晴風蕩漾落花飛

鳥歌花舞太守酔

明日酒醒春已帰

緑樹交加して山鳥啼き

晴風蕩漾として落花飛ぶ

鳥は歌い花は舞い太守は酔う

明日酒醒むれば春は已に帰らん

 

緑の木々の中で、山鳥が代わる代わる啼き交わす。

さわやかな春風がたゆとうて、散る花が飛び交う。

鳥歌い花舞うなか、太守(中国の官、本人のこと)は

酔ってしまった。

明日、酔いがさめれば、春は過ぎてしまっているだろう。

 

“鳥歌花舞” は、のどかな春景色のことですね。

 

新春の言葉として、よく用いられます。

 

 

ところで、この欧陽脩による有名な言葉に

 

“三上” というものがあり、

 

たいてい、文を作るのは、この三つにある時という、

 

まず、”馬上” 馬に乗っているとき

 

“枕上” 寝床に入っているとき

 

そして、”厠上” おトイレタイムでしょうか(笑)

 

わかるような気がしますね、

 

馬でないと、今なら車中でしょうか。

 

 

そして、また “三多” という言葉で

 

文章上達についても述べたようです。

 

“看多” 多く看ること、文章をたくさん読むこと

 

“做多” 多く書くこと

 

“商量多” 多く推敲すること

 

なるほどなぁ…ということばかりですね。

 

では、今年は、賢人にならって、

 

たくさん読んで、書いて、正して、

 

当ブログでも、研鑽をつんでいけたらいいなぁ。 

  

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

    

「望」古代文字-遠方、大いなるものに想いを馳せる

 

 

今日は晦日、いよいよ

 

明日は大晦日となりましたね。

 

晴れていいお天気ですが、風が少し強かったかな。

 

あちらこちらで、お正月を迎える準備が

 

整ってきたようですね。

 

 

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         「望」   (はがき)

 

“望”の古代文字(金文)から。

 

更に、最古の字体の解説は以下より。

甲骨文字の字形は、つま先で立つ人を横から見た形(壬てい)の字の上に臣(上方を見ている目の形で、大きな瞳)をかく形(臣+壬)で、つま先立って遠くを望み見る人の形であり、象形の字。これに音符の亡を加えた望は形声の字。遠くを望み見ることから、「のぞむ、まちのぞむ、ねがう」の意味に用いる。

 

                                                白川静 『常用字解』より

  

           

 

さらに、白川氏によれば、

つま先立って大きな瞳で遠方を望み見ることは、雲気を見て占う行為であり、また目のもつ呪力(まじないの力、呪いの力)によって敵を押えつけて服従させる呪的な行為であった。 

 

とあります。

もともと、古代の甲骨文字自体が占いであったように、

そうした呪術的な世界観が当時の基底にあるのは、

理解できます。

 

面白いので、引用が長くなりましたが、

 

言葉としての『望む』は、

 

遠方などに想いを馳せる意を持ちます。

 

目の前にあることだけでなく、

 

時に、遠く、もっと大きなものに目を向けることも

 

大切ではないかと思います。

 

実際、今こうして、

 

パソコンの液晶画面を見入っているわけですが、

 

目の前だけ、限られた範囲を見る時間が

 

思いのほか長くなっている日常生活。

 

物理的にも、目は疲れるし、

 

身体も固定化した感じになります。

 

気分を変えるのに、立ち上がって窓の外を見たり、

 

外へ出たりすれば、実感する世界が広がります。

 

自然の中にあれば、それだけで、

 

常に流れて動いている大きなものを感じられ、

 

また、空を仰ぎ見れば、そこは、

 

はてしなく広がる世界というわけです。

 

ところで、望む、というと、あるいは、

 

はやりの引き寄せの法則のような

 

“願望”を思い浮かべたりもしますが、

 

往々にして、人格的なレベルと、魂の望みは

 

違うことが少なくないということに

 

気づけるといいかもしれません。

 

今この世界での限られた視野しか持たない肉体人格では、

 

無限な世界を知っている魂には及びもよらないからです。

 

もちろん、日々、

 

小さな望みをかなえていくのは、必要で、楽しいこと。

 

時には、さらに遠くを望み、大いなるものに

 

想いを馳せることも大切にしたい。

 

来年と思っていたものも、明後日にはあるのですから(笑)

 

遠いと思っているだけで、そばにあるのかもしれません。

 

では、どうぞ、皆様もよい年をお迎えください。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

    

「ぼくの花」まどみちおさんの詩より-オンリーワンを大切に

 

 

御用納めの方もいらしたでしょうか。

 

今年もあと三日ほどになりましたね。

 

新年を前に、明日は新月です。

 

このところ、いろいろなものが

 

新しく切り替わっていくように感じます。

 

 

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    「ぼくの花」   まどみちお (色紙)

 

朝から かいている
花の 絵が
ようやっと できあがった

こころの おくに わいてくる
かすかな しみずが
この指さきへと 集まってきて

見えないほどの
しずくに なって
ふくらんで ふくらんで
とうとう おっこちて
ぽっかりと さいたのか

まっかな 花
ぼくも はじめて見る ぼくの花
世界に ひとつきりの 花

ぼくは ふと 聞いた 気がした
この 花に とんでくる ために
いま どこかに 生まれた
あたらしい チョウチョの はねの音を……

 

まどみちおさんの詩です。

 

 

“世界に ひとつきりの 花” というと

 

この時期、オンリーワン、とか、花ときて

 

今年度末に解散する国民的グループの

 

すてきな歌曲を思い出しますね。

 

特にファンというわけではなかったものの、

 

残念な気もします。ただ、もうだいぶ前から

 

気持ちが離れていたように感じるメンバーが、

 

皆よくここまで、引っ張ってもたせて、

 

お疲れさまでした、というのが正直なところ

 

でしょうか。いずれにしても、

 

今の時代、どんどん移り変わっていくものは

 

止められない気がします。

 

ちょっと話がそれたところで、詩に戻りますが、

 

思いが高まって、ふっと自然に生まれ出るような

 

いわば、創作の妙というか、息遣いのようなものと、

 

また、新たに生まれ出たものともめぐりあう予兆のような

 

余韻が感じられ、好きな詩です。

 

私たちも、

 

これまでの競争社会での、ナンバーワンを目指すのでなく

 

これから、いわば、共存共栄の時代で、それぞれが

 

オンリーワンとして、独自の道を歩んでいけたら

 

楽しいなと感じます。 

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

知足者富(足るを知る者は富む)-真の豊かさとは…老子より

 

 

クリスマスも過ぎ、

 

来週はもう新年ですね。

 

年末は何かと慌ただしい時期ですが、

 

少しだけでも、静かな時間を持つのも

 

いいかもしれません。

  

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「知足者富」 老子より(大判はがき15×20㎝)

 

足るを知るものは富む。

 

老子の上篇三十三章にあります。

知人者智、自知者明、勝人者有力、自勝者強、

知足者富、強行者有志、不失其所者久、死而不亡者壽

 

人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。

人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。

足ることを知る者は富み

強(つと)めて行う者は志有り。

其の所を失わざる者は久しく、

死して而も亡びざる者は寿(いのちなが)し。

 

この章は、全体に含蓄ふかい言葉が並びますが、

 

よく知られた「知足者富」とその後の「強行者有志」は、

 

“満足を知っていることが(真に)富むことであり、

努力して実行するのが目的を持つ人である。” 

             (木村英一訳)

 

ついでに、前後の訳も載せておきます。

人を知るのが智であり、己れを知るのが明である。

人にうち勝つのが力であり、己れを抑制するのが

(真の)強である。

 

自己の拠るべき立場を失わないものは永続きし、

肉体は死んでも亡びないものが(真の)長寿である。

(最後の行については、肉体は個別的存在ながら、

 道は普遍的存在と注釈付き)

 

持っていた(古いのかな?)

 

老子 (講談社文庫)』はわかりやすいので

 

そちらから引用しました。

 

章全体の要点は、(上掲の文庫より)

己れを知り、内なる己れに眼を向けよ。

そこに真の永遠の生命を得る道がある。

となります。

 

足るを知るというのは、限界があるということでなく、

 

物事や欲にはきりがない、ということをわきまえていて、

 

既に、満たされているという感覚を持っていることで、

 

真に豊かであり、これは、自身の外側の事象でなく、

 

内側に眼を向けていることでもあると思います。

 

不足に目を向けて、不満をつのらせていくのか、

 

今、あるものに気づいて感謝できるかで

 

思いが変わり、そして

 

人生がまた大きく変わっていくのでしょう。

 

ついつい、物事として見えているものにとらわれがちですが、

 

どこに意識を向けているかが、より大切だということを

 

忘れずにいようと思うこの頃です。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

    

『世界童謡集』より-かつての子供と再会して思い起こす何か「森は栗いろ 銀ねずみ…」

 

 

クリスマス・イブですね。

 

また少し、寒くなってきました。

 

この時期しかかけないクリスマス音楽を

 

salonshiroineko.hatenablog.com

とっかえひっかえかけています(笑) 

 

  

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「森」マージョリー・ウィルスン (色紙)

 

森は栗いろ 銀ねずみ。

森は女王じゃなかろうか。

金の葉っぱはそよぐ髪。

下にいちめん咲く花は

着物の裾(すそ)に美しく

縫いつけてある宝石で

月の光は冠だ。

クリスマスの晩には

白い夜会服とお召しかえ。

   マージョリー・ウィルスン 水谷まさる

 

以前にもご紹介した

西條八十水谷まさる訳の『世界童謡集』

 

 

この本では、8つの部屋に分けて詩を集めていて、

“このお部屋には、植物をうたった唄をいれました”

その ”金のお部屋”の最初の詩です。

 

各国のさまざまな童謡の名アンソロジーのこの本は、

装丁が、岡本帰一、挿絵もその他に、

初山滋武井武雄、角田次郎、という

当時の子供の本の挿絵の黄金期たる諸家によって

頁を繰るごとに、ふんだんにその挿絵とカットが

ちりばめられていて、実に洒落た雰囲気。

 巻末には、吉田新一氏の解説があります。

 

ちょうどクリスマスの折りでありますが、

本にしろ、贈り物にしろ、普段の生活でも

子供時代にこそ、良質なものに触れられたら、

それは幸せなことですね。

 

この本の案内文を引用しておきましょう。

子どもの心をうたった詩や唄のすぐれた作品に触れて、かつて子どもであった時の自分や友達の姿と再会する。そして忘れていた大切な何かを想い起す、そんな胸ふくらむひとときを過すことが、ときにあるのではないでしょうか。本書は、そのきっかけともなりそうな、内容の充実したアンソロジーです。1924年の初刊ながら、デ・ラ・メアやロセッティらの深みのある詩に、あの楽しく愉快なマザー・グースの唄をたくさん収め、更に、一流の画家がたっぷりと挿絵を添えており、各ページは光に溢れています。

 

私たち、かつての子供たち、

いやまだ、自身に宿っている子供心と触れ合ってみるのも、

この季節はいいかもしれませんね。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

「慈愛」二題ーいつくしむ心

 

 

曇りがちでしたが、暖かいです。

 

ちょうど、明日から、

 

クリスマスへ連休となる方も

 

いらっしゃるでしょうね。 

 

クリスマスの精神に、チャリティ(Charity) が

 

あります。慈善と訳されるだけでなく、

 

慈愛、博愛という言葉です。

 

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 「慈愛」    (はがき)

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言葉の意味としては、

 

親が子をいつくしみ、かわいがるような深い愛情、と

 

されています。

 

字を見ただけで、何となく感覚的にわかると思います。

 

この感じは、普遍的なものなので

 

特定の宗教や思想に限りませんが、

 

もうすぐクリスマスですので、今回は、

 

聖書にある”愛”についてから、引いておくことにしましょう。

 

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、

いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

   (コリント人への手紙13章 4-7節より)

 

チャリティは、もとは、ギリシャ語の"カリタス"からで、

 

神の愛を実現するという意味があるようです。

 

アガペー(無条件の愛)になるでしょうか。

 

もう一つ、

 

仏教でいうところの "慈悲" という言葉があります。

 

これも、"いつくしみ、あわれむ心" ということで、

 

万物に対する愛の姿は、同じようですね。

 

最近、特に感じているのは、

 

まずは、自分自身を愛することが、大切だということ。

 

自らを慈しめば、おのずと、他へもそう出来る。

 

これは、また、自分を愛せなければ、

 

人も愛せない、ということにもなります。

 

自分を大切にするというのは、

 

意外とチャレンジだったりするから

 

不思議なものです。

 

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