Everyday Magic-筆に想いを

心に響く言葉や詩歌を、書でつづる

『世界童謡集』より-かつての子供と再会して思い起こす何か「森は栗いろ 銀ねずみ…」

 

 

クリスマス・イブですね。

 

また少し、寒くなってきました。

 

この時期しかかけないクリスマス音楽を

 

salonshiroineko.hatenablog.com

とっかえひっかえかけています(笑) 

 

  

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「森」マージョリー・ウィルスン (色紙)

 

森は栗いろ 銀ねずみ。

森は女王じゃなかろうか。

金の葉っぱはそよぐ髪。

下にいちめん咲く花は

着物の裾(すそ)に美しく

縫いつけてある宝石で

月の光は冠だ。

クリスマスの晩には

白い夜会服とお召しかえ。

   マージョリー・ウィルスン 水谷まさる

 

以前にもご紹介した

西條八十水谷まさる訳の『世界童謡集』

 

 

この本では、8つの部屋に分けて詩を集めていて、

“このお部屋には、植物をうたった唄をいれました”

その ”金のお部屋”の最初の詩です。

 

各国のさまざまな童謡の名アンソロジーのこの本は、

装丁が、岡本帰一、挿絵もその他に、

初山滋武井武雄、角田次郎、という

当時の子供の本の挿絵の黄金期たる諸家によって

頁を繰るごとに、ふんだんにその挿絵とカットが

ちりばめられていて、実に洒落た雰囲気。

 巻末には、吉田新一氏の解説があります。

 

ちょうどクリスマスの折りでありますが、

本にしろ、贈り物にしろ、普段の生活でも

子供時代にこそ、良質なものに触れられたら、

それは幸せなことですね。

 

この本の案内文を引用しておきましょう。

子どもの心をうたった詩や唄のすぐれた作品に触れて、かつて子どもであった時の自分や友達の姿と再会する。そして忘れていた大切な何かを想い起す、そんな胸ふくらむひとときを過すことが、ときにあるのではないでしょうか。本書は、そのきっかけともなりそうな、内容の充実したアンソロジーです。1924年の初刊ながら、デ・ラ・メアやロセッティらの深みのある詩に、あの楽しく愉快なマザー・グースの唄をたくさん収め、更に、一流の画家がたっぷりと挿絵を添えており、各ページは光に溢れています。

 

私たち、かつての子供たち、

いやまだ、自身に宿っている子供心と触れ合ってみるのも、

この季節はいいかもしれませんね。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

「慈愛」二題ーいつくしむ心

 

 

曇りがちでしたが、暖かいです。

 

ちょうど、明日から、

 

クリスマスへ連休となる方も

 

いらっしゃるでしょうね。 

 

クリスマスの精神に、チャリティ(Charity) が

 

あります。慈善と訳されるだけでなく、

 

慈愛、博愛という言葉です。

 

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 「慈愛」    (はがき)

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言葉の意味としては、

 

親が子をいつくしみ、かわいがるような深い愛情、と

 

されています。

 

字を見ただけで、何となく感覚的にわかると思います。

 

この感じは、普遍的なものなので

 

特定の宗教や思想に限りませんが、

 

もうすぐクリスマスですので、今回は、

 

聖書にある”愛”についてから、引いておくことにしましょう。

 

愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、

いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。

   (コリント人への手紙13章 4-7節より)

 

チャリティは、もとは、ギリシャ語の"カリタス"からで、

 

神の愛を実現するという意味があるようです。

 

アガペー(無条件の愛)になるでしょうか。

 

もう一つ、

 

仏教でいうところの "慈悲" という言葉があります。

 

これも、"いつくしみ、あわれむ心" ということで、

 

万物に対する愛の姿は、同じようですね。

 

最近、特に感じているのは、

 

まずは、自分自身を愛することが、大切だということ。

 

自らを慈しめば、おのずと、他へもそう出来る。

 

これは、また、自分を愛せなければ、

 

人も愛せない、ということにもなります。

 

自分を大切にするというのは、

 

意外とチャレンジだったりするから

 

不思議なものです。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

受福無彊-福を受ける、限りなし

 

 

少しまた、寒さが緩んでいます。

 

それでも、明日は冬至

 

季節もエネルギーも大きく動いて

 

いろいろなことが切り替わっているように

 

感じるこの頃です。

 

 

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「受福無彊」 詩経より (はがき)

 

福を受ける、限りなし

 

限りなく、幸福を受けるの意。

 

「彊」は限界、限りということで

 

「無」がつくことで、限りがないということになります。

 

出典は、中国の古典『詩経』といわれます。

 

幸せ、善きもの、いわゆる幸福を受けるに

 

限りはないという言葉。

 

かぎりないものを、充分に受け取れないとしたら、

 

それは、受け取る側に制限があるということに

 

なりましょう。

 

私たちは、自らに、自分自身が(無意識で)

 

あらゆる許可を与えていることを忘れがちです。

 

明日は、冬至ですが、

 

日が短くなっていたところから、また日が強くなっていく、

 

いわば、闇から光の季節へ転じる、

 

太陽が復活することをお祝いする日。

 

古代から、冬至祭として、新たな一年を迎えるとも

 

いわれてきました。

 

太陽の恵みもそうですが、私たちが日々、

 

さまざまな恩恵を受けて生きていることに

 

気づけば、幸福はいたるところに

 

満ちていることも、感じられるようになるのでしょう。

 

そして、それを受け取る価値が自身にあると

 

更に認識できるようになっていきたいと思います。

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

「昼となく夜となく」ータゴールの生命賛歌

 

 

急に冬らしくなって、冷え込んでいましたが

 

今日はまたちょっと穏やかな日和でした。

 

来週は、冬至もあって

 

太陽の恵みをあらためて感じる季節と

 

なってきました。

  

 

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「昼となく夜となく」 R・タゴール (半紙)

 

 昼となく夜となく わたしの血管をながれる同じ生命(いのち)の流れが、世界をつらぬいて流れ、律動的(リズミカル)に鼓動をうちながら 躍動している。

 その同じ生命が 大地の塵のなかをかけめぐり 無数の草のなかに歓びとなって 萌え出で、木の葉や花々のざわめく波となってくだける。

 その同じ生命が 生と死の海の揺籠(ゆりかご)のなかで、潮の満ち干につれて ゆられている。

 この生命の世界に触れると わたしの手足は輝きわたるかに思われる。

そして、いまこの刹那にも、幾世代の生命の鼓動が わたしの血のなかに脈打っているという思いから、わたしの誇りは湧きおこる。

           R・タゴール  森本達雄訳

 

 The same stream of life that runs through my veins night and day runs through the wolrd and dances in rhythmic measures.

 It is the same life that shoots in joy through the dust of the earth in numberless blades of grass and breaks into tumultuous waves of leaves and flowers.

It is tha same life that is rocked in the ocean-cradle of birth and death, in ebb and in flow.

I feel my limbs are made glorious by the touch of this world of life.

And my pride is from the life-throb of ages dancing in my this moment.

       “Stream of Life"    Rabindranath Tagore

 

インドの大詩人、ラビントラナート・タゴール

 

『ギタンジャリ』にある詩です。

 

 

ギタンジャリとは、神への捧げ歌、という意味だそうです。

 

今この世界に生きている、ということが、

 

すべて同じ生命の流れとつらなって

 

絶え間なく、躍動している

 

喜び、そう感じられるのは祝福だと思う。

 

青空文庫でも読めます。

 

ひるとなく夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが 世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて 踊っている。

そのいのちが よろこびとなってほとばしり 大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出でさせ 木の葉や花々の騒がしい波を 立たせる。

そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに 満ちたり引いたりしながら揺られている。

このいのちの世界にふれて 私の四肢は栄光に充たされる。

そして私の誇りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている 幾世代のいのちの鼓動からくるのだ。     

            (第69詩) 高良とみ

 

時に、こういう真理に触れると、

 

ただここに生きている素晴らしさを

 

思い出す。

 

私たちは、何かになるとか、するとか、日々、

 

生きる意味づけのようなものに忙しかったりするが、

 

実は、それは、ただのつけたしでしかないような気がする。

 

ただ生きて味わうなかで、

 

結果、何かをしているということであって

 

後付けでしかない社会などに絡めとられると、

 

本来は、活き活きと、

 

ダイナミックに宇宙とも連動する生命の本質を

 

見失いかねないように感じる。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

随處作主-随所に主たれば

 

 

昨日は、満月でしたが、曇りがち。

 

今日は、晴れましたが、

 

日があっても、やはり寒くなってきましたね。

 

師走も、あっというまの月半ば。

 

どことなく、せわしく感じてしまう

 

年の瀬にも落ち着いていられたらいいな、と。

 

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「随處作主」 臨済録より (大判はがき15×20㎝)

 

随處作主」 (随所に主たれば)

  あらゆる場において自ら主となれば

「立處皆真」  (立つところ、皆、真なり)

   と続く、禅宗臨済録にある言葉です。

 

これは、どこへでも、私が私がと、でしゃばっていく

 

ということではありません(念のため)

 

いつどこにあっても、他のものに依らず(束縛されず)

 

自分自身であること、主体性を持っていることでこそ

 

自在の働きができ、真実を知るということ。

 

仏教でも、

 

”おのれこそ、おのれのよるべ”(法華経)と

 

述べていて、自らを導きとし、

 

盲信・盲従を戒めています。

 

私たちが、信じていることが

 

本当に、自分自身によることなのか、

 

よくよく省みて、自らを頼りに

 

最初はおぼつかなくとも

 

歩んでいきたいと、

 

中高年といわれる域にあっても(笑)

 

思うようになったこの頃です。

 

もう今年も半月ほどになり、

 

新年を前に、これから、どうあるべきか、ではなく

 

どうありたいか、と自問したりする

 

時節にもなりました。

  

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

   

「一杯の水」メイ・サートンの詩より-透明な活力

 

 

日中は穏やかな感じだったが、

 

だんだん曇ってきて、雨が降り出してきた。

 

晴れると嬉しいが、乾燥気味になると

 

大地へのお湿りもありがたい。といっても、

 

夜中に、強く降る予報も。ほどほどがいいですが…。

 

 

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 「一杯の水」 メイ・サートン (色紙)

 

ここにあるのは 井戸から汲んだ一杯の水

舌にのせれば 石と木の根と 土と雨のあじわい

わが最上の宝もの 唯一の魔法

きらりと冷たく シャンパンより貴い

いつの日か 名も知らぬ人がこの家に立ち寄り

この水に癒やされて 旅路をつづけることもあろうか

いつかのわたしのように 暗い混沌に沈む誰かが。

コップ一杯の鮮烈な水を 飲み干したあのとき

にがい思いにまたもや 心を曇らせていたわたしに

透明な活力が 正気を返してくれたように。

 

最初の頃、紹介したことがあった

 

小説家・詩人、メイ・サートンの詩。

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

サートンは、みすず書房から、

 

自伝的エッセイなどが出版されているが、詩集は、

 

やはり武田尚子さん編訳による『一日一日が旅だから』

 

 

長くサートンの翻訳にかかわっていらした武田さんが

 

好きな作品の中から選ばれたという珠玉の一冊。

 

その巻頭を飾った詩が、

 

上記の ”一杯の水”(A Glass of Water)

 

あるいは、創作活動をするものの常として、

 

真摯に孤独(淋しいということではなく)に

 

対峙してきたサートンの抒情詩が味わえる。

 

優れた詩は、ここでいう鮮烈な一杯の水のように、

 

私たちの魂を潤してくれると思う。

 

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運水搬柴-水を運び薪をはこぶ日用のたとえ

 

 

いいお天気の日曜日。

 

家族と近辺を、買い物や用事で回っていたら、

 

あっというま。冬至も近く、日の入りも早く、

 

週半ばの満月も近く、満ちてきたお月さまが

 

冬空に映えますね。

 

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「運水搬柴」 龐居士伝 大判はがき(15×20㎝)

 

うんすいはんさい。

水をはこび 薪をはこぶ。

道を修めるとは、高遠な哲理を学ぶだけでない。

          (新修墨場必携・下より)

 

以前、この言葉を書いた時は、

上記の意味の他にも

いわゆる悟りを開いてからも、日常が変わることはない、

というような解釈も、読んだ覚えがあります。

 

もとは、唐代の龐居士の「神通并妙用、運水及搬柴」にあり、

道元が『正法眼蔵』(神通巻)でとりあげています。

 

禅宗においては、読経や座禅といった修行と同様、

もしくはそれ以上に、日常茶飯を仏行ととらえており、

そこに働く力を、神通といったわけでしょう。

 

あらゆる所作を区別することなく、

そこに素晴らしい働きがある、

その日用の象徴が、上記の言葉でした。

 

昔は、ペットボトルがあったわけでもなく、

蛇口をひねって水が出てきたり、

ボタンを押して火がついたりしたわけでないので、

生きるうえで必要不可欠なことだったわけですが、

今でも、そうしたあたりまえの手間こそが、生きるうえで

大切な行いであるのは、変わらないのかもしれません。

 

いろいろ便利な世の中になって、

自身の手を介してする作業はわずかになっていますが、

やはり、自分か誰かがそういう働きをしているわけです。

 

そんなことを思い起こしてみると、神通が働くかどうかは

ともかく、ふと神妙な思いになったりもします。

 

さてと、

面倒くさいなんていわずに、(←言ってる?)

ありがたくご飯の支度をしましょうか(笑)

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に