Everyday Magic-筆に想いを

心に響く言葉や詩歌を、書でつづる

“草をむしる” 八木重吉さんの詩-無心ということ

 

 

 

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     「草をむしる」八木重吉/詩   (半紙)

 

草をむしれば

あたりが かるくなってくる

わたしが

草をむしっているだけになってくる

 

草むしりといえば

主に夏なのでしょうが

庭などがあれば季節を問わず

必要な作業でもあります。

 

何でもそうですが

ただひたすら

単純な作業を続けていると

何も考えずにそのまま

そこに没頭している自分がいます。

 

三昧という言葉もありますが

動的な瞑想ともいえるかも

しれません。

意気込んで何かをしようと思うと

いろいろ余計なことが気になることも

少なくありませんから

日常の中で一心不乱に何かをするのは

その動作と一体になって

妙に清々しかったります。

年末なら掃除もそうかもしれませんが

結果、綺麗になれば

辺りが軽く、明るくなってくるのですね。

 

 

八木重吉 貧しき信徒青空文庫)でもご覧になれます。

 

 Kindle版(¥0)もあります。

 

 

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“孤独な鳥の条件”サン・フォン・デ・ラ・クルス-カスタネダの『未知の次元』冒頭の詩

 

 

 

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“孤独な鳥の条件は五つある”   (金雲ぼかし色紙)

 

孤独な鳥の条件は五つある

第一に孤独な鳥は最も高いところを飛ぶ

第二に孤独な鳥は同伴者にわずらわされない

その同類にさえもわずらわされない

第三に孤独な鳥は嘴(くちばし)を空に向ける

第四に孤独な鳥ははっきりとした色を持たない

第五に孤独な鳥は非常にやさしくうたう

      サン・フォン・デ・ラ・クルス

       〈光と愛のことば〉

 

 

サン・フォン・デ・ラ・クルスは

16世紀スペインの思想家、神秘主義の詩人だといいます。

 

私がこの詩を知ったのは

呪術師ドン・ファンとの対話として

知られるカルロス・カスタネダ

『未知の次元』(講談社学術文庫)の

 

 

扉に掲げられていたからです。

詩の言葉に惹かれる人も少なくありません。

 

アメリカの文化人類学

カルロス・カスタネダ

若き日に幻覚植物を探る過程で

北メキシコのヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファン

出会います。日常的な現実とは別の世界の教えを受け

弟子となり、一連のシリーズ本を書きました。

読み物として興味を惹かれるだけでなく

その言葉によって示すことができる世界(トナール)と

日常と理性をはるかに超えた世界(ナワール)とは何か

深遠な実践哲学が語られます。

孤高な鳥の姿は、真理を探求する人々の信念とも

重なり、私たちの本質を思い出させてくれるのかも

しれません。

 

また

ドン・ファンの言葉を味わうのに最適なのは

カスタネダ自身が選び出しまとめたという

一冊(北山耕平さんの訳)

『時の輪―古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索』

がオススメです。

 

 

 

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「温故知新」古きをたずねて新しきを知る-現代こそ必要とされる知恵

 

 

最近、そういえば

いろいろな場面で想起される

言葉のひとつです。

 

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「温故知新」    (大判はがき15×20㎝)

 

論語にある言葉ですね。

 

「子曰く、故きを温めて、

新しきを知れば、以って師と為るべし」

 

古きをたずねて新しきを知る

つまり、

昔のことを尋ね求めて、

そこから新しい知識や見解をひらくこと。

もとは孔子が、師となる人物の心得として、

先人の思想や学問を修めるように説いたものでした。

 

日々、物事がどんどん変化し、

新しいものも次々と現われる、かに

思われる時代ですが、

人口知能にしろ、新しい開発のもとで

必要とされているのは

ひらめきと共に

実はかつての膨大なデータや知識の中にある

ヒントだったりするようです。

 

以前、棋士の羽生さんが著書で

将棋の世界でも、AI時代のトレンドが “温故知新” だと

いう話も載っていたのが印象的でした。

 

www.salon-shiroineko.com

 

 

 

 伝統もこれまでのやり方も、

どんどん変わっていく時代ですが、

意外にも、そこに流れていた真髄を汲むことで

新たな境地や展開が開けることがあるのかも

しれません。 

 

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「一期一会」そして「独座観念」-出会いを尊び味わう心

 

 

 

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「一期一会」(いちごいちえ) はがき

 

一期というのは、仏教の言葉で一生を意味するそうです。

そして「一期一会」とは

この度の茶会においての出会いは、

またくり返すことのない一度限りのものと心得て、

主客とも誠意を尽くすべしという主旨の言葉として

知られています。

 

引いては、人生の出会い全般、

そして日常を共にする身近な集いであっても

その時々がまたとはない貴重な時間であることを

思い起こしてくれます。

 

元々は、茶道における千利休の言葉ともされ、

弟子の『山上宗二記』の中にその主旨が見られようです。

そして今日広く知られる

「一期一会」という言葉が示されたのは、

江戸時代の大老井伊直弼の『茶湯一会集』によります。

 

また、この言葉と対語として

「独座観念」というものがあるそうです。

こちらは、

茶会が終わり、お客様をしっかりお見送りした後も

あたふたと片付けたりせず、客人のその後、

そして自身についても思いを馳せ、静かに

また一服立てながら、一人向き合うという意味の

ようです。

 

書をやっていて

「独座観心」

(独座して心気を澄ます)

という菜根譚での言葉は知っていましたが、

茶道の心得としての「独座観念」は

初めて知りました。

 

いずれにしても、

日常の繰り返しに思えたり、

同じようなことがあったとしても、

一瞬一瞬、全く同じということはないわけです。

実は尊い、ひとつひとつの出会いを、

じっくりと味わうという機会の大切さを

あらためて感じさせてくれる言葉なのですね。

 

日々、慌ただしく過ごしてしまわず、

丁寧に人や物事と出会い、楽しみ味わって

いこうと感じます。

 

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「随流去」-流れに随っていく

 

 

月日の経つのは早いものですね。

と書いて、ふと思いました。

時間の感覚は人によって違うな…

一月も(既に)半ば、それともまだ半ば

皆様はどちらでしょうか。

 

 

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「随流去」ずいりゅうこ  (水色ぼかし手漉きはがき)

 

 

さてその昔、山に入って道に迷った僧が

大梅禅師の庵に至って尋ねました。

「山にいらしてどのくらいになるのですか?」

「只、周りの山が青くなったり、

紅葉したりを見ていて三十余年」(祖堂集)

その後、

山から抜け出るのにはどちらへ行ったらいいのか

訊ねた僧に

禅師が応えた言葉が「随流去」でした。

「(川の)流れに随っていきなさい」

  

 

水は高きより低きに向かって流れる

その川の流れに沿っていけば

山から出られるということでした。

 

ところで、流れに随ってというのは、

流れに流されてしまうということとは違います。

さらにまた、自分勝手な思い込みでなく、

自然の理(天地の道理)に従って生きることが

大事だという教えともいえ、心に響く禅語です。

 

大梅法常禅師(752~839)は、

馬祖道一禅師(709~788)の弟子であり、

唐の高僧でした。

道元の『正法眼蔵』にも度々登場します。

また、師の馬祖大師の言葉としては

「平常心是道」や「即身成仏」が知られています。

 

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七夕に和歌を書きたくなった頃-たなばたのとわたる舟の梶の葉に…

 

 

 

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(水玉はがき)


たなばたのとわたる舟の梶の葉にいく秋書きつ露の玉づさ

(俊成)

【通釈】
七夕の天の川の川門を渡る舟の梶――その梶の葉に、

秋が来るたび何度書いたことだろう、

葉に置いた露のように果敢ない願い文(ぶみ)を。
藤原俊成 千人万首より)

新古今集にある歌だそうですが、

和歌や俳句などもしみじみくるこの頃。


ふうちゃん(先代父猫)を先月見送ってから、

少々感傷的?よくいえば情緒的になっている

わたくしでしょうか。

学生時代に、中桐雅夫先生に接する機会がありました。

詩人として著名でいらしたのですが、

とても腰の低いもの静かな方でした。

その中桐先生の詩集『会社の人事―中桐雅夫詩集』に

「やせた心」という詩があって、その最終節に

   戦いと飢えで死ぬ人間がいるうちは

   おれは絶対に風雅の道はゆかぬ

とあります。さすがは、秘めたる情熱家。

社会派と冠された詩人です。

 

会社の人事―中桐雅夫詩集

会社の人事―中桐雅夫詩集

 

 

そんなことども思い出しつつ、

やはり、風雅の道にも癒されるわたくしでもあります。

風雅と言えば、父猫のなまえもそうでした

(ひらがなでしたが)

名は体をあらわすといいますが、まさにそうですね。


話が前後しておりますが、

七夕には、露で墨をすって、習字の上達を願うとか、

お裁縫をはじめ(織り姫さまにちなみ)、

芸事の上達を祈願する習わしもあります。

何でもいいですが、一心不乱に習う体験も貴重ですね。

デジタル時代には、筆文字の味わいもまた格別です。
 
    ※ここまで過去記事(2012年7月)のリライトです。

ところで、

たなばた、と平仮名で書くと

なぜか、

たなぼた、と読みたくなる私も…いたりする

あぁ、風雅の道が台無しかしらん

感傷も、5年もたつとこうなるのね。

失礼しました(笑)

 

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詩心をひきだす-「風に言葉」高田敏子さんの詩

 

 

今年も、いつのまにか半年にもなろうと、

今日は夏至

更新が遅くなり、

梅雨の時期になりましたが、

今回の詩は、 

爽やかな雰囲気もあります。

 

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   「風に言葉」 高田敏子詩 (色紙)

 

馬は 優しい目をあげ

耳を澄ます

 

太陽の光はきらめき

ポプラの枝先はゆれて 風が渡る

 

風に言葉

光に言葉

木々の葉に言葉

私たちにはわからない動物たちだけに

聞える声が

あ あるのだ きっと!

  

高田敏子さんの詩です。

いくつか詩集も読みましたが、

詩について書かれた本も素適です。

 

詩の世界 (ポプラ・ノンフィクションBOOKS)

詩の世界 (ポプラ・ノンフィクションBOOKS)

 

 

私が引用した詩に出会ったのはこの一冊でした。

古今東西の詩もたくさん紹介されていますし、

ご自身の作品も取り上げて、

題名どおり、詩の世界についてのお話が

とても興味深い。

 

今回色紙に書いたこの詩については

じっと見つめる、という章の

詩心をひきだす、という見出しにあり、

写真から出来たといいます。

 

 詩を書きたいな、と思っても、なんにも書くことがうかんでこないときは、手近なものをじっと見つめてごらんなさい。

 机の前に窓があったら、窓のそとの風景を、また、目の前に花びんがあったら、それもじっと。じっと見つめることで、普段気づかなかったそのものの姿や形にも、あらためて気づくでしょうし、そのものから連想もひろがって、思いがけない詩が生まれるものです。

 

 ある晩、わたくしは手元の雑誌をめくっているうちに、動物の写真が目につきました。二頭の馬が、森を背景にして明るい光の中に立っています。右の方にポプラが二本。

 わたくしは、その写真をじっと見つづけました。写真の風景のなかに、いつのまにか自分もすっぽりはいって、馬の姿を見つづけていました。たぶんそれは一時間以上も見ていたと思います。

 すると、馬の姿は、もう写真ではなく、ほんとうの馬にも見えてきました。馬の目がわたくしを見、それから空を見あげ、そして、馬の耳がピクッと動いたように思いました。 

 

その夜に、書けた詩が「風に言葉」だったそうです。

 

 この詩のできたのは、まったく写真のおかげですが、動物たちだけにきこえる声、風や光、ゆれる木々の葉にもことばがあるのではないか、という気持は、以前からなんとなく、それとははっきりわからないかたちで、わたくしの中にあったのかもしれません。

(中略)

 詩のできる過程をことばであらわすのは、とてもむずかしいことです。この「風に言葉」の詩を例にひいていえば、毎日の生活のなかで、なんとなく思っていたことが、それを表現するのにちょうどよい対象(もの)に出会い、心が動いて、詩のことばとなってできたものです。

 

書の題材もたぶん

時に、自分のなかで何となく感じていたことや

新しい驚きなどが

こうした(詩と)出会いによって

筆をとらせることもあるのだろうと思います。

面白いですね。

 

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