晴れて風がないと、暖かい気もしますが
やはり寒さ戻ったかな~。
明日から2月。すると
暦では、立春もすぐそこで
かえって待ち遠しい春。
「詩人」 ジェイムズ・カーカップ
詩人はいつも働いてばかり
ただ一刻(とき)の休みもない
何もしないように見えるときが
実はいちばん忙しく
たいていは書かれずじまい喋れずじまいの言葉を
紙に書きなぐることなんざ
仕事の内にも入らない なぜって
詩人が舌を与えなくてはならぬのは
どちらかといえば いわぬが花
言葉に語れぬ想いなのだ
もしも巧みと偶然のたまもので
語れぬおもいが言葉になったとしたら
それは呼吸のように自然で しかも
霊感にみちているに違いない
気ままで やさしいこの気印しは
求められてもいぬ 奇蹟をたずね
人ふまぬ道を ゆかねばならない
ふきげんで わけ知り人の世にあって
ジェイムズ・カーカップ(James Kirkup 1918-2009)は
イギリスの詩人・劇作家で、日本でも教鞭をとった親日家。
今回の詩は、
メイ・サートンの著書『独り居の日記』の中にあったものを
とりあげた。訳は、翻訳者の武田尚子さんによると思われる。
サートンについては、以前、他の著書『夢見つつ深く植えよ』
また、詩集の中から一つ詩を載せている。
サートンは、
自身の詩作や執筆の仕事を、生活の中からきっかり
遮断してしまえない性質のものであることを、この詩を引いて
述べていた。 ”ジェイムズ・カーカップの「詩人」が、
なんとうまく表現していることか。”
私は、ただこの詩自体を読んで、なるほどなぁ
詩人というものはそうなんだろうなと、思うだけである。
そして、詩の醍醐味というのは、
言葉で表し難いなにものかを
それでも言葉にできたとしたら、
それは、啓示のようなものだと感じられたので、
書いてみたくなったから。
詩にかぎらず、あまり、下手な解説など試みないほうが
よかったりする。
それぞれが、味わい、何かを感じるだけ。
そして、琴線に触れるものがあれば、幸いかな、と。
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