今年も、10日です。
朝から晴れて、気持ちのいい日和。
青空をのぞむように、深呼吸したくなります。
「私は可能性に…」 エミリ・ディキンスン (半紙)
わたしは可能性に住んでいる
散文より美しい家
窓もずっと多く
扉も はるかに素晴らしい
どの部屋も 誰の目も寄せつけない
ヒマラヤ杉の木立
果てしなく続く屋根は
駒形切妻(ガンブレルズ)の空
訪れるのは 最も美しいひとたち
仕事は これ
小さな両手を大きく広げ
楽園を抱きしめること
岩田典子訳
I dwell in Possibility -
A fairer House than Prose -
More numerous of Windows -
Superior - for Doors -
Of Chanbers as the Cedars -
Impregnable of Eye -
And for an Everlasting Roof -
The Gambrels of the Sky -
Of Visiters - the fairest -
For Occupation - This -
The spreading wide my narrow Hands
To gather Paradaise -
(P-657・F-466)
アメリカの女流詩人エミリ・ディキスンの詩です。
こちらでは、度々登場しますが、
今年のディキンスン始めになりました(笑)
ディキンスンは1858年から詩の原稿を残すようになったが、この詩が書かれた62年は生涯で最も多作の歳で366篇が残されている。「散文より美しく」大きな可能性を秘めたものとして、詩は彼女を魅了し続けたのである。彼女の「仕事」は詩を書くことであり、詩の中でなら、日常を越えることも、不可能を可能にすることもできた。詩は新しい可能性への挑戦の場であった。
30歳を過ぎる頃からごく少数の人と手紙を交わす以外世間づきあいもあまりなくなったので、彼女の家を訪れるのは「美しいひとたち」に限られていた。下男や近所の子供など、気のおけない人たちとは話をするのを楽しみにしていた。彼女を訪れた「最も美しい人たち」は溢れる詩的霊感ではなかったろうか。詩は彼女がペンで勝ちとることができた「可能性」の世界であり、「楽園」であった。
岩田典子さんの『エミリ・ディキンスンを読む』より
この本の中でも触れられているように、
ヴァージニア・ウルフ(英女流作家1882-1941)は、
女性の自立には自分の部屋を持たなければならないと
言いましたが、
まさに、そんな部屋に籠って、
ひそやかに、エミリは詩を書いていた。
交流するのは、家族と、限られた気のおけない人たちや、
小動物だったり⁉
エミリ・ディキンスンは素晴らしい詩人ですが、
人は皆、それぞれの可能性に住んでいる、とも
言えるかもしれません。
小さな両手を広げて、それぞれの楽園を集められたら
楽しいだろうな。
今年も始まったばかり、新しい気持ちで
小さいことからでも、
勇気を出して(ヘタレな面もあるもので・笑)
いろいろな可能性に
のぞんでいきたいものです。
追記:
メインブログでも、ディキンスンについて更新しました。
美しいひとたちの代表?子供とのふれあいの絵本について。
メインブログも本の話題が多く、よかったらご覧くださいね。
今日もご覧いただき、ありがとうございました。
クリック↓よろしくお願いいたします!
ありがとうございます!
心に響く言葉を筆文字で、身近に