今年も、いつのまにか半年にもなろうと、
今日は夏至。
更新が遅くなり、
梅雨の時期になりましたが、
今回の詩は、
爽やかな雰囲気もあります。
「風に言葉」 高田敏子詩 (色紙)
馬は 優しい目をあげ
耳を澄ます
太陽の光はきらめき
ポプラの枝先はゆれて 風が渡る
風に言葉
光に言葉
木々の葉に言葉
私たちにはわからない動物たちだけに
聞える声が
あ あるのだ きっと!
高田敏子さんの詩です。
いくつか詩集も読みましたが、
詩について書かれた本も素適です。
私が引用した詩に出会ったのはこの一冊でした。
古今東西の詩もたくさん紹介されていますし、
ご自身の作品も取り上げて、
題名どおり、詩の世界についてのお話が
とても興味深い。
今回色紙に書いたこの詩については
じっと見つめる、という章の
詩心をひきだす、という見出しにあり、
写真から出来たといいます。
詩を書きたいな、と思っても、なんにも書くことがうかんでこないときは、手近なものをじっと見つめてごらんなさい。
机の前に窓があったら、窓のそとの風景を、また、目の前に花びんがあったら、それもじっと。じっと見つめることで、普段気づかなかったそのものの姿や形にも、あらためて気づくでしょうし、そのものから連想もひろがって、思いがけない詩が生まれるものです。
ある晩、わたくしは手元の雑誌をめくっているうちに、動物の写真が目につきました。二頭の馬が、森を背景にして明るい光の中に立っています。右の方にポプラが二本。
わたくしは、その写真をじっと見つづけました。写真の風景のなかに、いつのまにか自分もすっぽりはいって、馬の姿を見つづけていました。たぶんそれは一時間以上も見ていたと思います。
すると、馬の姿は、もう写真ではなく、ほんとうの馬にも見えてきました。馬の目がわたくしを見、それから空を見あげ、そして、馬の耳がピクッと動いたように思いました。
その夜に、書けた詩が「風に言葉」だったそうです。
この詩のできたのは、まったく写真のおかげですが、動物たちだけにきこえる声、風や光、ゆれる木々の葉にもことばがあるのではないか、という気持は、以前からなんとなく、それとははっきりわからないかたちで、わたくしの中にあったのかもしれません。
(中略)
詩のできる過程をことばであらわすのは、とてもむずかしいことです。この「風に言葉」の詩を例にひいていえば、毎日の生活のなかで、なんとなく思っていたことが、それを表現するのにちょうどよい対象(もの)に出会い、心が動いて、詩のことばとなってできたものです。
書の題材もたぶん
時に、自分のなかで何となく感じていたことや
新しい驚きなどが
こうした(詩と)出会いによって
筆をとらせることもあるのだろうと思います。
面白いですね。
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