いいお天気の日曜日。
家族と近辺を、買い物や用事で回っていたら、
あっというま。冬至も近く、日の入りも早く、
週半ばの満月も近く、満ちてきたお月さまが
冬空に映えますね。
「運水搬柴」 龐居士伝 大判はがき(15×20㎝)
うんすいはんさい。
水をはこび 薪をはこぶ。
道を修めるとは、高遠な哲理を学ぶだけでない。
(新修墨場必携・下より)
以前、この言葉を書いた時は、
上記の意味の他にも
いわゆる悟りを開いてからも、日常が変わることはない、
というような解釈も、読んだ覚えがあります。
もとは、唐代の龐居士の「神通并妙用、運水及搬柴」にあり、
禅宗においては、読経や座禅といった修行と同様、
もしくはそれ以上に、日常茶飯を仏行ととらえており、
そこに働く力を、神通といったわけでしょう。
あらゆる所作を区別することなく、
そこに素晴らしい働きがある、
その日用の象徴が、上記の言葉でした。
昔は、ペットボトルがあったわけでもなく、
蛇口をひねって水が出てきたり、
ボタンを押して火がついたりしたわけでないので、
生きるうえで必要不可欠なことだったわけですが、
今でも、そうしたあたりまえの手間こそが、生きるうえで
大切な行いであるのは、変わらないのかもしれません。
いろいろ便利な世の中になって、
自身の手を介してする作業はわずかになっていますが、
やはり、自分か誰かがそういう働きをしているわけです。
そんなことを思い起こしてみると、神通が働くかどうかは
ともかく、ふと神妙な思いになったりもします。
さてと、
面倒くさいなんていわずに、(←言ってる?)
ありがたくご飯の支度をしましょうか(笑)
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