クリスマスには、まだひと月ありますが
この寒さ・・・
11月の初雪、降りましたね。
こちらは、千葉北西部ですが
ようやく、止んだかな。
「わずかばかりの贈り物と…」エミリ・ディキンスン
(半紙1/2)
わずかばかりの贈り物と
つたない言葉では
わたしのこころは空しくなる
でも「空しさ」は
世界を変える力がある。 (岩田典子訳)
By homely gift and hindered Words
The human heart is told
Of Nothing -
”Nothig” is the force
That renovates the World - (J-1563・F-1611)
アメリカの女流詩人エミリ・ディキンスンの詩です。
岩田典子さんの『エミリ・ディキンスンを読む』の中で
この詩について、いくつかの試訳をされていて興味深い。
ディキンスンの詩の特徴の一つに、いろいろな解釈を可能にし、そのパズルを解く楽しみを存分に読者に与えながら、深い思想に行き当たらせるという言葉遊びがある。この詩もその一つで、隣に住む義姉スーザンに贈り物をする際、”Emily”とサインして送られたものである。(中略)
贈り物をしてもどこにでもあるものしか贈れない。添える言葉を書いても自分の気持ちを上手に言えなくて、本当に情けなくなってくる。この体験で自分はなんとつまらない。なんの取り柄もない人間だということがわかった。しかし本当の自分がわかると、世界が違ってみえてきた。そして希望が湧いてきた。いわゆる「空しさ」というものは、何もないことに終わるのでなく、自分を変えるほどの力を秘めている。
解説を読むと、わかりやすいが、私が詩だけを読んだ際には、(この後、岩田さんも述べられているように)”gift”(ギフト)に、”贈り物”だけでなく、天からの授かりもの=”才能”という意味合いを感じて、更に高い視点からも見えてくるものがあった。
外国語を学ぶ際には、やっかいな面もあるが、文芸作品のこの言葉遊びは、面白く、その解釈が多彩で広い世界観を見せてくれて、楽しいものだ。アリスもそうだし、シェイクスピアは駄洒落の天才ともいわれている(笑)
さて、岩田さんが”nothing” を、「無の境地」と解釈した場合ものせている。
未熟な才に
つたない言葉を添えてみると
無を悟る
「無」は
世界を新しくする力である
西欧思想より、東洋的な考え方によっている私たちには、
無こそあらゆる存在のもとと見なす教えなどに通じて、
なじみやすいと思う。
訳は最初のでいいと思うけれど(笑)
それにしても、このブログを始めて
エミリ・ディキンスンの詩の魅力に
あらためて気づきました。
はまっちゃったなぁ…。
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