Everyday Magic-筆に想いを

心に響く言葉や詩歌を、書でつづる

あらためて自己紹介

 

 

このブログを始めて、5カ月ほどになりますが、

旧暦の新年に

あらためての自己紹介を、

というか書歴など…。

(記事の合間にひっそりと・笑)

 

 

f:id:koboaoineko:20170203222643j:plain

 

ニックネームの

shoyo(章燿)というのは、

書の雅号です。

 

7歳の時に、膝の手術をして、

ちょっと足が不自由なのに、

外でとんだりはねたり?していた私に

「この子は、習字をやったら伸びる」と

両親は、町の書道教室に通わせてくれました。

(小学4年生の頃から中学生の間までの5年間)

 

その後、大学時代に部活動で、

書の大家に出会ったのがきっかけで、

社会人になってから、本格的に師事して

始めました。

 

古典を通して研鑽するようになり、

師範をとり、雅号を頂き、書展に出品し、

大作に取り組んだり、教えたり、

筆耕の仕事をしたり…と活動をしてきました。

 

その後、団体を離れ、しばらくして、

気楽に小さな作品を中心に、また筆をとるようになり、

あらたに楽しんでいます。

 

もともとの文学志向もあいまって、

琴線に触れた詩歌や言葉を

筆で綴るひととき

共に分かち合って頂けたら、幸いです。

 

書だけでなく、編み物などの趣味やらの作業場を

(何とか荘、もしくは何とか庵とするはずが?)

先代猫のロシアンブルーにちなんで

工房“青い猫”と称しています。

 

後から移行してきたメインブログ(日常)は

エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ です。

 

 ご来訪下さり、ありがとうございます。

 

 

【プライバシーポリシー】

当ブログでは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

 

当ブログでは、第三者配信による広告サービスを利用し、ユーザー様が閲覧する他のサイト(Adsense広告のあるサイト、You Tube)の状況に応じて、興味のある広告を配信しています。そのため、当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報(氏名、住所、メールアドレス、電話番号は含まれません)を使用することがあります。このプロセスの詳細は https://support.google.com/adsense/answer/113771?ref_topic=234026&rd=2をご覧下さい。

当サイトや他サイトへのアクセスに関する情報(氏名、住所、メールアドレス、電話番号は含まれません)を使用されないようにする方法については、https://www.google.com/settings/u/0/ads/authenticated?hl=enを、クリックし、設定変更をお願いします(英語のサイト)

詳しくは、Adsense広告の、プライバシーポリシーをご覧下さい。 http://www.google.com/intl/ja/policies/pribacy/

 【免責事項】

当ブログに掲載された情報に関しては 充分な注意を払っておりますが、 その内容の正確性等に対して一切保障するものではございません。

 

当ブログの利用で起きた、いかなる結果について 一切責任を負わないものとします。 リンク先の参照は各自の責任でお願い申し上げます。

 

当ブログは著作権の侵害を目的とするものではありません。 使用している版権物の知的所有権は それぞれの著作者・団体に帰属しております。

 

 

  今日もご覧いただき、ありがとうございました。

 

   クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

ジェイムズ・カーカップ-「詩人」という詩

 

 

晴れて風がないと、暖かい気もしますが

 

やはり寒さ戻ったかな~。

 

明日から2月。すると

 

暦では、立春もすぐそこで

 

かえって待ち遠しい春。

 

 

f:id:koboaoineko:20170130205932j:plain

 「詩人」 ジェイムズ・カーカップ

 

詩人はいつも働いてばかり

ただ一刻(とき)の休みもない

何もしないように見えるときが

実はいちばん忙しく

たいていは書かれずじまい喋れずじまいの言葉を

紙に書きなぐることなんざ

仕事の内にも入らない なぜって

詩人が舌を与えなくてはならぬのは

どちらかといえば いわぬが花

言葉に語れぬ想いなのだ

 

もしも巧みと偶然のたまもので

語れぬおもいが言葉になったとしたら

それは呼吸のように自然で しかも

霊感にみちているに違いない

気ままで やさしいこの気印しは

求められてもいぬ 奇蹟をたずね

人ふまぬ道を ゆかねばならない

ふきげんで わけ知り人の世にあって

 

f:id:koboaoineko:20170130205957j:plain

 

ジェイムズ・カーカップ(James Kirkup 1918-2009)は

 

イギリスの詩人・劇作家で、日本でも教鞭をとった親日家。

 

今回の詩は、

 

メイ・サートンの著書『独り居の日記』の中にあったものを

 

とりあげた。訳は、翻訳者の武田尚子さんによると思われる。

 

独り居の日記

 

サートンについては、以前、他の著書『夢見つつ深く植えよ』

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

 

また、詩集の中から一つ詩を載せている。

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

サートンは、

 

自身の詩作や執筆の仕事を、生活の中からきっかり

 

遮断してしまえない性質のものであることを、この詩を引いて

 

述べていた。 ”ジェイムズ・カーカップの「詩人」が、

 

なんとうまく表現していることか。”

 

私は、ただこの詩自体を読んで、なるほどなぁ

 

詩人というものはそうなんだろうなと、思うだけである。

 

そして、詩の醍醐味というのは、

 

言葉で表し難いなにものかを

 

それでも言葉にできたとしたら、

 

それは、啓示のようなものだと感じられたので、

 

書いてみたくなったから。

 

詩にかぎらず、あまり、下手な解説など試みないほうが

 

よかったりする。

 

それぞれが、味わい、何かを感じるだけ。

 

そして、琴線に触れるものがあれば、幸いかな、と。

 

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

「遊雲驚龍」-能書のたとえ

 

 

一月もあと少しですが、

 

明日は、今年に入っての新月

 

こちらは、晴れていますが、

 

強い風が吹き荒れています。

 

 

f:id:koboaoineko:20170127145105j:plain

 「遊雲驚龍」 晋書より  はがき

 

元の字は「游雲驚龍」とのこと。

 

書の題材が載っている墨場必携(上・下)で、

 

浮びただよう雲とおどろいて動く竜。能書の形容、

 

とあります。

 

出典は、唐代の晋書(歴史書)とされています。

 

能書家といえば、日本では空海、中国では王羲之

 

唐の太宗皇帝は、書聖といわれた王羲之に傾倒し、

 

王羲之の名(筆)品を、共に埋葬するよう命じたくらいでした。

 

蛇足ながら、

 

おかげで、書をやる人は、その王羲之の真筆を拝めず、拓本や

 

他の方の臨書で勉強することになるわけなんですが(笑)

 

ちなみに、太宗皇帝自身も能筆で、私は好きなほうですが、

 

なかなかダイナミックで、古典として学び甲斐があります。

 

さて、晋書という歴史書を命じて編纂した際に、

 

太宗は、「王羲之伝」を自ら記したそうで、

 

その中に王羲之の筆を称えている箇所があるようです。

 

あらためて検索してみると、ヤフーの質問(知恵袋)コーナーで

 

王 羲之の筆をたたえて、『竜が天門を跳ねるが如... - 文学、古典 | Yahoo!知恵袋

 

丁寧に答えている方がありました(笑)

 

墨場必携の説明どおりに、

 

浮かび漂う雲という語があるんですね。

 

書作の活動をしていた当時は、

 

筆の表現に重きをおいていて

 

あまり、出典まで深く掘り下げたりしていなかったようで、

 

今更ですが、ブログを始めて、いろいろ勉強になります。

 

少し活動を離れて、書きたいものを気楽にというと

 

古典よりは、読める近代詩文に興味があって

 

もとよりの文学志向も復活したりと

 

新しい発見もあったのですが、

 

あらためて、古典も悪くないかなと思ったり、

 

面白いものです。

 

ところで、最近、こちらの更新は、

 

ゆるりと続ける感じになっていますが、

 

日常的なメインブログ(やはり本の紹介多いです)を

 

エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ 

 

書いています。ちょっと趣きが違いますが、

 

よろしかったら、そちらも覗いてみてくださいね。

  

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

幼な子の喜びと悲しみ-ウィリアム・ブレイク 「無垢と経験の歌」より

 

 

こちらは晴れていますが、 

 

風があると、寒いです。

 

1月も、もう一週ほどで、2月の暦がちらつくと

 

春の兆しを探したくなりますね。

 

 

f:id:koboaoineko:20170123145011j:plain

「喜び」という名の幼な子 ウィリアム・ブレイク (半紙)

 

「喜び」という名の幼な子

 

ぼくには名前がないんだ

まだ生まれて二日しかたっていないから。

おまえは何て呼んでほしいの?

ぼくは幸せだよ

喜びがぼくの名前だよ。

すてきな喜びがおまえの上に訪れますように!

 

かわいい喜び!

生まれて二日しかたっていないすてきな喜び、

すてきな喜びと呼んであげよう。

おまえは笑い、

そのあいだに私は歌をうたう、

すてきな喜びがおまえの上に訪れますように!

          (松島正一訳)

 

       Infant Joy

I have no name

I am but twi days old.―

What shall I call thee ?

I happy am

Joy is my name.―

Sweet joy befall thee !

 

Pretty joy !

Sweet joy but two days old.

Sweet joy I call thee ;

Thou dost smile,

I sing the while

Sweet joy befall thee.

               "Songs of Innocence "     William Blake

 

詩人としてだけでなく、画家、彫版師など

 

多面的な顔を持つイギリスのウィリアム・ブレイク

 

むしろ、生前は、詩人としては認められず、

 

一介の彫版師として過ごしたともあります。

 

以前、ここでも、よく知られた詩の一つを載せています。

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉 (岩波文庫)  対訳ブレイク詩集(岩波文庫)より

 

 

さて、今回とりあげた詩は、ブレイクの作品

 

『無垢と経験の歌』"Songs of Innocence and of Experience "

 

の『無垢の歌』にあります。

 

この世に生を受け、ほとばしるような歓喜に輝いています。

 

ところで、同じ幼な子でも、『経験の歌』では、

 

実に対照的な詩となっています。

 

「悲しみ」という名の幼な子

 

母さんは呻(うめ)いた! 父さんは泣いた。

ぼくは危険な世界へとおどり出た。

たよりなく、裸で、かんだかく泣きながら

雲間に隠れた小鬼みたいに。

 

父さんの両手に抱かれてもがき、

おむつをはねのけようと蹴っても蹴っても、

縛られていて、疲れてくると

母さんの胸ですねているのが一番いいと思った。

         (松島正一訳)

 

Infant Sorrow

My mother groand ! my father wept.

Into the dangerous world I leapt :

Helpless, naked, piping loud :

Like a fiend hid in a cloud.

 

Struggling in my father's hands :

Striving against my swadling bands :

Bound and weary I thoughtt best

To sulk upon my mother's breast.

            "Songs of Experience"  William Blake

 

面白いですね。

 

無垢と経験の対比というか、訳によっては、

 

無心と有心ともされていて、その心のありかたで

 

違ってくる世界とでもいうのでしょうか。

 

無垢から経験へというのは、彼の重要なテーマであったとも

 

対訳集にあります。

 

もちろん、ブレイクは、初期の抒情詩から、

 

前期・後期の預言書といった壮大で深淵な世界を

 

扱っていて、神秘主義者ともいわれた

 

興味深い思想家でもありました。

 

難しいことはともかく、

 

アーティストへのインスピレーションならずとも

 

いろいろな示唆を与えてくれる詩の宝庫といえましょう。

 

ブレイク詩集 (岩波文庫)

 

また、無心・有心の歌とした寿岳文章氏の

 

翻訳なども含めて、これから、じっくり味わっていきたい

 

詩人だと感じています。

 

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

楽只ー楽しむこと 『詩経』より

 

 

今日は、だんだん晴れてきました。

 

明日は、大寒

 

文字を見るだけで寒そうです(笑)

 

冬真っただ中ですね。

 

f:id:koboaoineko:20170119131002j:plain

「楽只」 詩経より  (はがき)

 

楽只(らくし)とは、楽しむこと。

 

出典は、中国の古典(詩集)である詩経

 

中に、「楽只君子」(楽しきかな君子)という語が

 

みうけられる。

 

詩経は、大きく「風」「雅」「頌」の三つに分かれ、

 

その中の「雅」小雅にある一節にもあります。

 

楽只君子、邦家之光、楽只君子、万寿無彊

 

楽しむ君子は、国家の光であり、

限りなく万寿を得て栄えるだろう。

 

ちなみに「風雅」という言葉は、

 

この詩経を代表する「風」「雅」から、

 

詩歌、そうした芸術的なものをあらわすようになったと

 

いうことでもあります。

 

いずれにせよ、楽しむことは大事だということで、

 

この言葉を冠しているお店や品も少なくないようです。

 

まあ、君子たらずとも、純粋に楽しんでいる様子は

 

こちらまで、幸せに感じられたりしますね。

  

f:id:koboaoineko:20170119131115j:plain

同じ字体で、もう一枚。

 

楽という字は、象形で、

古代の甲骨文字から、とって書いています。

もとは、柄のある手鈴の形で、

舞楽でこれを振って神をたのしませるのに使用したことから。

 

只という字は、この言葉では、助辞で

調子を整えるためで意味はないです。こちらの

字体は、設文(解字)、最古の漢字辞書によります。

 

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

冬来たりなば春遠からじ-「西風に寄せる歌」より

 

 

大寒に向かう週ですが、今季は 

 

週末から、大寒波の襲来で、

 

大荒れの地域も少なくありません。

 

大雪が早くおさまりますように。

 

厳寒の時期を迎えて、より春の到来が待たれます。

 

 

f:id:koboaoineko:20170115142353j:plain

「冬来たりなば…」 英詩より (はがき)

 

「冬来たりなば 春遠からじ」

 

この語句は、

 

寒さ厳しい冬が来たならば、暖かな春の訪れも

 

そう遠くはない、ということから、

 

たとえ、つらい状況にあっても、耐え忍んでいれば、

 

やがて、幸せなときもめぐってくる、という意味で

 

使われます。

 

ところで、この言葉、その調子から、

 

出典が、漢詩か古典のようにも思えますが、

 

英詩でした。

 

イギリスの詩人、パーシー・ビシー・シェリ

 

(Percy Bysshe Shelley 1927-1822)の詩

 

「西風の賦」Ode to the West Wind の

 

 最後の一節にあります。

 

シェリーは、バイロンキーツとともに

 

若い世代の浪漫派を代表する詩人で、有名なのは

 

長詩『プロメテウス解縛』(Prometheus Unbound 1820)など。

 

この「西風の賦」も、ともに出版されたようです。

 

"賦" というのは、詩や歌のこと、原文にある、Ode は、

 

特定の人や物に寄せる抒情詩のことですから、

 

「西風に寄せる歌」とも言えます。

 

荒れ狂う西風よ! 迸り出る秋の息吹よ!

枯葉の群れが、今、見えざるお前の傍から

吹きまくられ、

妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、――

O wild West Wind,  thou breath of Autumn's being,

Thou, from whose unseen presence the leaves dead

Are driven,  like ghosts from an enchanter fleeting,

 

で始まる詩ですが、原詩と対訳は、

 

平井正穂編による『イギリス名詩選』に収められています。

 

イギリス名詩選 (岩波文庫) (岩波文庫

 

シェリーは、若くして海難事故で亡くなったようですが、

この詩を書いた頃に、二人の子供を相次いで失ったと、

解説にありました。I~Vの5部になる詩ですので、

最後のVを引用しておきます。

 

西風よ、

あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ! 

たとえ あの枯葉のように、

私から枯葉が散っていっても構わぬ。

それよりも、お前の激しい響きが、

森と私の叫びと交じり合い、

 

沈痛な、そうだ、

悲しみを帯びながらもなお快い、

秋の調べを 奏でることを私は望む。

西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と

一つになってくれ! 

奔放なる者よ、私と一つになってくれ!

 

西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、

私の死んだように 見える思想を全宇宙に

撒き散らし、その再生を促してくれ!

まだ消え去らぬ煖炉の灰燼と残り火を

撒き散らすように、

 

私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を

全世界の人々に向かって撒き散らしてくれ!

西風よ、私の唇を通して、

まだ醒めやらぬ全世界に対する

 

予言の喇叭を響かせてくれ! おお、西風よ、

冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!

 

Make me thy lyre,  ev'n as the forest is :

What if my leaves are falling like its own !

The tumult of thy mighty harmonies

 

Will take from both a deep autumnal tone,

Sweet though in sadness.  Be thou, Spirit fierce,

My spirit!  be thou me, impetuous one !

 

Drive my dead thoughts over the universe

Like winther'd leaves to quicken a new birth ;

And,  by the incantation of this verse,

 

Scatter, as from an unextinguish'd hearth

Ashes and sparks, my words among mankind !

Be through my lips to unawaken'd earth

 

The trumpet of a prophecy !  O Wind,

If Winter comes, can Spring be far behind ?

 

     (太線が、今回の言葉部分 

       段落は収まるよう変えています)

 

物事は常に動いているので、ずっと続くかに思える状況も

 

やはり移ろい変わっていく…。

 

烈しい西風に向かって叫んでいるような

 

まさに、詩人の魂の息吹が響いてくるような抒情詩ですね。

 

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

「心月」ー澄みきったこころ

 

 

昨夜は、今年初めの満月でした。

 

冬の澄みきった夜空は、ことのほか、

 

星や月の光が映えます。

 

そして、また、闇夜を照らす月、

 

仏教では、仏性、

 

満月は、菩提心をも象徴するそうです。

  

f:id:koboaoineko:20170113200114j:plain

「心月」 禅語 (はがき)

 

禅語で、心の本性をあらわします。

 

墨場必携には、真如法性の理を、月にたとえた言葉とあり、

 

一般的にいえば、澄みきった清浄な心、

 

(真理を)悟った心をいいます。

 

「心月弧円、万象を呑む」(盤山宝積禅師)という句も

 

ありますが、すべてのものを抱合する心の月(仏性)、

 

何ものにもとらわれない自然の理でもあります。

 

この言葉は、時に世の喧騒を離れ、

 

また、日々の暮らしの中にあっても、

 

そうした本来の在り方、姿を

 

顧みることを、思い出させてくれます。

 

おりから、新しい年が始まり、

 

私たちは、またそれぞれ、さまざまな人に出会い、

 

いろいろな出来事もあることでしょうが、

 

そのたびに喜怒哀楽を味わいつくしつつ…

 

誰もの心の片隅に、何ものにもとらわれない

 

澄んだ仏性があることを忘れずにいたいなと

 

願っています。 

 

今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

 クリック↓よろしくお願いいたします!


人気ブログランキングへ 


にほんブログ村

ありがとうございます!

 

f:id:koboaoineko:20160905125709j:plain

心に響く言葉を筆文字で、身近に