Everyday Magic-筆に想いを

心に響く言葉や詩歌を、書でつづる

「遊雲驚龍」-能書のたとえ

 

 

一月もあと少しですが、

 

明日は、今年に入っての新月

 

こちらは、晴れていますが、

 

強い風が吹き荒れています。

 

 

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 「遊雲驚龍」 晋書より  はがき

 

元の字は「游雲驚龍」とのこと。

 

書の題材が載っている墨場必携(上・下)で、

 

浮びただよう雲とおどろいて動く竜。能書の形容、

 

とあります。

 

出典は、唐代の晋書(歴史書)とされています。

 

能書家といえば、日本では空海、中国では王羲之

 

唐の太宗皇帝は、書聖といわれた王羲之に傾倒し、

 

王羲之の名(筆)品を、共に埋葬するよう命じたくらいでした。

 

蛇足ながら、

 

おかげで、書をやる人は、その王羲之の真筆を拝めず、拓本や

 

他の方の臨書で勉強することになるわけなんですが(笑)

 

ちなみに、太宗皇帝自身も能筆で、私は好きなほうですが、

 

なかなかダイナミックで、古典として学び甲斐があります。

 

さて、晋書という歴史書を命じて編纂した際に、

 

太宗は、「王羲之伝」を自ら記したそうで、

 

その中に王羲之の筆を称えている箇所があるようです。

 

あらためて検索してみると、ヤフーの質問(知恵袋)コーナーで

 

王 羲之の筆をたたえて、『竜が天門を跳ねるが如... - 文学、古典 | Yahoo!知恵袋

 

丁寧に答えている方がありました(笑)

 

墨場必携の説明どおりに、

 

浮かび漂う雲という語があるんですね。

 

書作の活動をしていた当時は、

 

筆の表現に重きをおいていて

 

あまり、出典まで深く掘り下げたりしていなかったようで、

 

今更ですが、ブログを始めて、いろいろ勉強になります。

 

少し活動を離れて、書きたいものを気楽にというと

 

古典よりは、読める近代詩文に興味があって

 

もとよりの文学志向も復活したりと

 

新しい発見もあったのですが、

 

あらためて、古典も悪くないかなと思ったり、

 

面白いものです。

 

ところで、最近、こちらの更新は、

 

ゆるりと続ける感じになっていますが、

 

日常的なメインブログ(やはり本の紹介多いです)を

 

エブリディ・マジック-日だまりに猫と戯れ 

 

書いています。ちょっと趣きが違いますが、

 

よろしかったら、そちらも覗いてみてくださいね。

  

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

幼な子の喜びと悲しみ-ウィリアム・ブレイク 「無垢と経験の歌」より

 

 

こちらは晴れていますが、 

 

風があると、寒いです。

 

1月も、もう一週ほどで、2月の暦がちらつくと

 

春の兆しを探したくなりますね。

 

 

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「喜び」という名の幼な子 ウィリアム・ブレイク (半紙)

 

「喜び」という名の幼な子

 

ぼくには名前がないんだ

まだ生まれて二日しかたっていないから。

おまえは何て呼んでほしいの?

ぼくは幸せだよ

喜びがぼくの名前だよ。

すてきな喜びがおまえの上に訪れますように!

 

かわいい喜び!

生まれて二日しかたっていないすてきな喜び、

すてきな喜びと呼んであげよう。

おまえは笑い、

そのあいだに私は歌をうたう、

すてきな喜びがおまえの上に訪れますように!

          (松島正一訳)

 

       Infant Joy

I have no name

I am but twi days old.―

What shall I call thee ?

I happy am

Joy is my name.―

Sweet joy befall thee !

 

Pretty joy !

Sweet joy but two days old.

Sweet joy I call thee ;

Thou dost smile,

I sing the while

Sweet joy befall thee.

               "Songs of Innocence "     William Blake

 

詩人としてだけでなく、画家、彫版師など

 

多面的な顔を持つイギリスのウィリアム・ブレイク

 

むしろ、生前は、詩人としては認められず、

 

一介の彫版師として過ごしたともあります。

 

以前、ここでも、よく知られた詩の一つを載せています。

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

対訳 ブレイク詩集―イギリス詩人選〈4〉 (岩波文庫)  対訳ブレイク詩集(岩波文庫)より

 

 

さて、今回とりあげた詩は、ブレイクの作品

 

『無垢と経験の歌』"Songs of Innocence and of Experience "

 

の『無垢の歌』にあります。

 

この世に生を受け、ほとばしるような歓喜に輝いています。

 

ところで、同じ幼な子でも、『経験の歌』では、

 

実に対照的な詩となっています。

 

「悲しみ」という名の幼な子

 

母さんは呻(うめ)いた! 父さんは泣いた。

ぼくは危険な世界へとおどり出た。

たよりなく、裸で、かんだかく泣きながら

雲間に隠れた小鬼みたいに。

 

父さんの両手に抱かれてもがき、

おむつをはねのけようと蹴っても蹴っても、

縛られていて、疲れてくると

母さんの胸ですねているのが一番いいと思った。

         (松島正一訳)

 

Infant Sorrow

My mother groand ! my father wept.

Into the dangerous world I leapt :

Helpless, naked, piping loud :

Like a fiend hid in a cloud.

 

Struggling in my father's hands :

Striving against my swadling bands :

Bound and weary I thoughtt best

To sulk upon my mother's breast.

            "Songs of Experience"  William Blake

 

面白いですね。

 

無垢と経験の対比というか、訳によっては、

 

無心と有心ともされていて、その心のありかたで

 

違ってくる世界とでもいうのでしょうか。

 

無垢から経験へというのは、彼の重要なテーマであったとも

 

対訳集にあります。

 

もちろん、ブレイクは、初期の抒情詩から、

 

前期・後期の預言書といった壮大で深淵な世界を

 

扱っていて、神秘主義者ともいわれた

 

興味深い思想家でもありました。

 

難しいことはともかく、

 

アーティストへのインスピレーションならずとも

 

いろいろな示唆を与えてくれる詩の宝庫といえましょう。

 

ブレイク詩集 (岩波文庫)

 

また、無心・有心の歌とした寿岳文章氏の

 

翻訳なども含めて、これから、じっくり味わっていきたい

 

詩人だと感じています。

 

 今日もご覧いただき、ありがとうございました。

  

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

楽只ー楽しむこと 『詩経』より

 

 

今日は、だんだん晴れてきました。

 

明日は、大寒

 

文字を見るだけで寒そうです(笑)

 

冬真っただ中ですね。

 

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「楽只」 詩経より  (はがき)

 

楽只(らくし)とは、楽しむこと。

 

出典は、中国の古典(詩集)である詩経

 

中に、「楽只君子」(楽しきかな君子)という語が

 

みうけられる。

 

詩経は、大きく「風」「雅」「頌」の三つに分かれ、

 

その中の「雅」小雅にある一節にもあります。

 

楽只君子、邦家之光、楽只君子、万寿無彊

 

楽しむ君子は、国家の光であり、

限りなく万寿を得て栄えるだろう。

 

ちなみに「風雅」という言葉は、

 

この詩経を代表する「風」「雅」から、

 

詩歌、そうした芸術的なものをあらわすようになったと

 

いうことでもあります。

 

いずれにせよ、楽しむことは大事だということで、

 

この言葉を冠しているお店や品も少なくないようです。

 

まあ、君子たらずとも、純粋に楽しんでいる様子は

 

こちらまで、幸せに感じられたりしますね。

  

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同じ字体で、もう一枚。

 

楽という字は、象形で、

古代の甲骨文字から、とって書いています。

もとは、柄のある手鈴の形で、

舞楽でこれを振って神をたのしませるのに使用したことから。

 

只という字は、この言葉では、助辞で

調子を整えるためで意味はないです。こちらの

字体は、設文(解字)、最古の漢字辞書によります。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

冬来たりなば春遠からじ-「西風に寄せる歌」より

 

 

大寒に向かう週ですが、今季は 

 

週末から、大寒波の襲来で、

 

大荒れの地域も少なくありません。

 

大雪が早くおさまりますように。

 

厳寒の時期を迎えて、より春の到来が待たれます。

 

 

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「冬来たりなば…」 英詩より (はがき)

 

「冬来たりなば 春遠からじ」

 

この語句は、

 

寒さ厳しい冬が来たならば、暖かな春の訪れも

 

そう遠くはない、ということから、

 

たとえ、つらい状況にあっても、耐え忍んでいれば、

 

やがて、幸せなときもめぐってくる、という意味で

 

使われます。

 

ところで、この言葉、その調子から、

 

出典が、漢詩か古典のようにも思えますが、

 

英詩でした。

 

イギリスの詩人、パーシー・ビシー・シェリ

 

(Percy Bysshe Shelley 1927-1822)の詩

 

「西風の賦」Ode to the West Wind の

 

 最後の一節にあります。

 

シェリーは、バイロンキーツとともに

 

若い世代の浪漫派を代表する詩人で、有名なのは

 

長詩『プロメテウス解縛』(Prometheus Unbound 1820)など。

 

この「西風の賦」も、ともに出版されたようです。

 

"賦" というのは、詩や歌のこと、原文にある、Ode は、

 

特定の人や物に寄せる抒情詩のことですから、

 

「西風に寄せる歌」とも言えます。

 

荒れ狂う西風よ! 迸り出る秋の息吹よ!

枯葉の群れが、今、見えざるお前の傍から

吹きまくられ、

妖魔から逃げ惑う亡霊のように飛び散ってゆく、――

O wild West Wind,  thou breath of Autumn's being,

Thou, from whose unseen presence the leaves dead

Are driven,  like ghosts from an enchanter fleeting,

 

で始まる詩ですが、原詩と対訳は、

 

平井正穂編による『イギリス名詩選』に収められています。

 

イギリス名詩選 (岩波文庫) (岩波文庫

 

シェリーは、若くして海難事故で亡くなったようですが、

この詩を書いた頃に、二人の子供を相次いで失ったと、

解説にありました。I~Vの5部になる詩ですので、

最後のVを引用しておきます。

 

西風よ、

あの森と同じく私もお前の竪琴にしてくれ! 

たとえ あの枯葉のように、

私から枯葉が散っていっても構わぬ。

それよりも、お前の激しい響きが、

森と私の叫びと交じり合い、

 

沈痛な、そうだ、

悲しみを帯びながらもなお快い、

秋の調べを 奏でることを私は望む。

西風よ、烈々たる霊よ、私の霊と

一つになってくれ! 

奔放なる者よ、私と一つになってくれ!

 

西風よ、お前が枯葉を撒き散らすように、

私の死んだように 見える思想を全宇宙に

撒き散らし、その再生を促してくれ!

まだ消え去らぬ煖炉の灰燼と残り火を

撒き散らすように、

 

私のこの詩の呪術の力を用いて、私の言葉を

全世界の人々に向かって撒き散らしてくれ!

西風よ、私の唇を通して、

まだ醒めやらぬ全世界に対する

 

予言の喇叭を響かせてくれ! おお、西風よ、

冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!

 

Make me thy lyre,  ev'n as the forest is :

What if my leaves are falling like its own !

The tumult of thy mighty harmonies

 

Will take from both a deep autumnal tone,

Sweet though in sadness.  Be thou, Spirit fierce,

My spirit!  be thou me, impetuous one !

 

Drive my dead thoughts over the universe

Like winther'd leaves to quicken a new birth ;

And,  by the incantation of this verse,

 

Scatter, as from an unextinguish'd hearth

Ashes and sparks, my words among mankind !

Be through my lips to unawaken'd earth

 

The trumpet of a prophecy !  O Wind,

If Winter comes, can Spring be far behind ?

 

     (太線が、今回の言葉部分 

       段落は収まるよう変えています)

 

物事は常に動いているので、ずっと続くかに思える状況も

 

やはり移ろい変わっていく…。

 

烈しい西風に向かって叫んでいるような

 

まさに、詩人の魂の息吹が響いてくるような抒情詩ですね。

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

「心月」ー澄みきったこころ

 

 

昨夜は、今年初めの満月でした。

 

冬の澄みきった夜空は、ことのほか、

 

星や月の光が映えます。

 

そして、また、闇夜を照らす月、

 

仏教では、仏性、

 

満月は、菩提心をも象徴するそうです。

  

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「心月」 禅語 (はがき)

 

禅語で、心の本性をあらわします。

 

墨場必携には、真如法性の理を、月にたとえた言葉とあり、

 

一般的にいえば、澄みきった清浄な心、

 

(真理を)悟った心をいいます。

 

「心月弧円、万象を呑む」(盤山宝積禅師)という句も

 

ありますが、すべてのものを抱合する心の月(仏性)、

 

何ものにもとらわれない自然の理でもあります。

 

この言葉は、時に世の喧騒を離れ、

 

また、日々の暮らしの中にあっても、

 

そうした本来の在り方、姿を

 

顧みることを、思い出させてくれます。

 

おりから、新しい年が始まり、

 

私たちは、またそれぞれ、さまざまな人に出会い、

 

いろいろな出来事もあることでしょうが、

 

そのたびに喜怒哀楽を味わいつくしつつ…

 

誰もの心の片隅に、何ものにもとらわれない

 

澄んだ仏性があることを忘れずにいたいなと

 

願っています。 

 

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心に響く言葉を筆文字で、身近に

     

「私は可能性に住んでいる」-エミリ・ディキンスンの詩より

 

 

今年も、10日です。

 

朝から晴れて、気持ちのいい日和。

 

青空をのぞむように、深呼吸したくなります。 

 

 

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 「私は可能性に…」  エミリ・ディキンスン (半紙)

 

わたしは可能性に住んでいる

散文より美しい家

窓もずっと多く

扉も はるかに素晴らしい

 

どの部屋も 誰の目も寄せつけない

ヒマラヤ杉の木立

果てしなく続く屋根は

駒形切妻(ガンブレルズ)の空

 

訪れるのは 最も美しいひとたち

仕事は これ

小さな両手を大きく広げ

楽園を抱きしめること      

            岩田典子訳   

 

 

I dwell in Possibility -

A fairer House than Prose -

More numerous of Windows -

Superior - for Doors -

 

Of Chanbers as the Cedars -

Impregnable of Eye -

And for an Everlasting Roof -

The Gambrels of the Sky -

 

Of Visiters - the fairest -

For Occupation - This -

The spreading wide my narrow Hands

To gather Paradaise -

                                    (P-657・F-466)

 

アメリカの女流詩人エミリ・ディキスンの詩です。

 

こちらでは、度々登場しますが、

 

今年のディキンスン始めになりました(笑)

 

 ディキンスンは1858年から詩の原稿を残すようになったが、この詩が書かれた62年は生涯で最も多作の歳で366篇が残されている。「散文より美しく」大きな可能性を秘めたものとして、詩は彼女を魅了し続けたのである。彼女の「仕事」は詩を書くことであり、詩の中でなら、日常を越えることも、不可能を可能にすることもできた。詩は新しい可能性への挑戦の場であった。

 30歳を過ぎる頃からごく少数の人と手紙を交わす以外世間づきあいもあまりなくなったので、彼女の家を訪れるのは「美しいひとたち」に限られていた。下男や近所の子供など、気のおけない人たちとは話をするのを楽しみにしていた。彼女を訪れた「最も美しい人たち」は溢れる詩的霊感ではなかったろうか。詩は彼女がペンで勝ちとることができた「可能性」の世界であり、「楽園」であった。

 

岩田典子さんの『エミリ・ディキンスンを読む』より 

 

エミリ・ディキンスンを読む

 

この本の中でも触れられているように、

 

ヴァージニア・ウルフ(英女流作家1882-1941)は、

 

女性の自立には自分の部屋を持たなければならないと

 

言いましたが、

 

まさに、そんな部屋に籠って、

 

ひそやかに、エミリは詩を書いていた。

 

交流するのは、家族と、限られた気のおけない人たちや、

 

小動物だったり⁉

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

 

koboaoineko.hatenablog.com

 

 

エミリ・ディキンスンは素晴らしい詩人ですが、

 

人は皆、それぞれの可能性に住んでいる、とも

 

言えるかもしれません。

 

小さな両手を広げて、それぞれの楽園を集められたら

 

楽しいだろうな。

 

今年も始まったばかり、新しい気持ちで

 

小さいことからでも、

 

勇気を出して(ヘタレな面もあるもので・笑)

 

いろいろな可能性に

 

のぞんでいきたいものです。

 

追記:

メインブログでも、ディキンスンについて更新しました。

美しいひとたちの代表?子供とのふれあいの絵本について。

メインブログも本の話題が多く、よかったらご覧くださいね。

www.salon-shiroineko.com

 

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「融通無碍」-妨げなく融合し通い合う大調和の世界から

 

 

お正月も、はや一週間。

 

立春まで、名実ともに?寒い時期になりました。

 

それでも、日中は、晴れてくれると

 

お日さまありがたいですね~。 

 

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「融通無碍」  華厳経より (はがき)

 

ゆうづうむげ 

 

滞りやとらわれがなく、自由であること。

 

“融通がきく”という言葉もありますね。

 

“無碍” の‘碍’は、‘礙’ でもあり、妨げ、邪魔するもので、

 

つまり、妨げがない、ということになります。

 

(以前、”心無罣礙” についても書きました) 

koboaoineko.hatenablog.com

 

あちらは、般若心経が出典でしたが、

 

“融通無碍” も仏教がもとにあり、出典は華厳経とのこと。

 

華厳経の“融通無碍” は、

 

妨げなく、融合し通い合っているという意味があり、

 

大調和の世界を表わすといいます。

 

物事を四角四面にとらえるばかりでなく、

 

臨機応変に対処できるのを、

 

融通がきくともいうわけですが、

 

融通無碍となると、

 

さらに大らかな世界観を呈する感じですね。

 

先の”心無罣礙”もそうでしたが、

 

この”融通無碍” なる在り方は、

 

これまでの経験ややり方が通用しなくなっている

 

激動と大きな変化のさなかに生きる私たちには

 

今の時代から、これからさらに必要とされる気がします。

 

より高い視点からすれば、

 

それこそ大調和へ向かう前の混沌期かも。

 

はて、どうしたものか…自由な心。

 

この時期は、寒いので、かちこちになりがち、

 

パソコンの前で固まってないで(笑)ストレッチ!

 

まずは、身体をほぐすことからでも、

 

始めてみようかしらね。

 

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